インタビュー

埼玉3区選出 衆議院議員黄川田仁志さん

自立と誇りある日本をつくりたい

自国の文化、歴史、美徳を語れるのが真の国際人

P1040614

永田町と草加(or越谷)1日3往復も

休みなしで働く日々

野間口 昨年(2012年)の衆議院選で当選され、お忙しい日々が続いていると思います。どのようなスケジュールで毎日動いてらっしゃるか、教えて頂けますか?

黄川田 朝6時半から7時まで、駅前に立って街頭演説を行っています。それが終わって、そのまま電車に乗って自民党本部まで移動、8時からの党の部会に出席します。私は国会の外交委員会、法務委員会、東日本大震災復興委員会に所属しているので、それぞれの委員会に関係する自民党の部会に出席します。また専門の海洋資源開発にも関心があるので、その関係の会議に出席することもあります。

それが終わると本会議や委員会に出席します。本会議や委員会がない場合は、随時開かれている自民党の部会出席、官僚からのレクチャー、訪問客の対応などをこなします。日替わりメニューで1日のスケジュールは変わります。

基本的には平日は国会におりますが、地元の行事に参加するために、国会での仕事の合間で、草加、越谷に戻ったりします。1日2往復は当たり前、3往復するときもあります。 夜は地元の会合に参加することが多いです。

野間口 お休みの日はないんですか?

黄川田 基本的に土日祝日関係なく、仕事をしていますので休みはありません。唯一のリフレッシュは2歳になる子どもの子育てでしょうか。

 

小中高と野球漬けの日々

大学では海洋構造物を専攻

野間口 お生まれはどちらですか?

黄川田 生まれは東京ですが、横浜に小学校2年生から高校を卒業するまで住んでいたので出身は神奈川県横浜ということにしています。

野間口 どのような子ども時代で、将来何になろうとしていましたか?

黄川田 小・中・高と野球しかやっていませんでした。将来の夢ももちろんプロ野球選手。小学校の時はピッチャー、中学では内野手、高校では外野手とポジションは、だんだん外のほうに追いやられていったのですが、高校ではキャプテンも務めていました。当時の憧れの選手は西本聖さん、中畑清さんなどです。ジャイアンツファンでしたね。

それから、歴史も好きでした。小学校の時に、自分で粘土と型紙を使って安土桃山城をつくったことがあります。それが何かのコンクールで入賞して美術館のようなところに展示されました。展示から返ってきた安土桃山城に、歴史どおりにしようということで、火をかけて落城させたんです。

野間口 元気な野球少年の反面、地道に手製の模型をつくりあげるような細かいところもあり、さらにそれに火をつけるという大胆なところもあったんですね。大学は東京理科大に進学されますが、当時目指していたことはなんですか?

黄川田 高校生の終わり頃になると、環境に興味を持ち始めました。私が育ったのは横浜でも鎌倉に近いところで、自然が比較的残っている地域でした。子どもの頃は、田畑もあったし、用水路もあってザリガニ釣りなどもしていました。ところが、高校の頃には開発が進んで田畑もなくなって、用水路にもふたがされるといった状況になり始めました。自然がなくなり、風景が一変しました。

そんな体験が影響したのでしょうか、なんとなく環境問題のことを考えるようになりました。きれいな空気、きれいな海、山を残したいと思ったんですね。

当時は環境工学といった学問がなかったので、東京理科大学で土木工学を学びました。土と木が入ってるから環境に関係あるだろうという安易な考えで進学しました(笑)。

野間口 具体的には、どのようなことを勉強されたのですが?

黄川田 海の流れを解析する研究室に入りました。そこで大阪湾の海流の流れを研究していました。たとえば、神戸空港とか、関西空港とかを海を埋め立ててつくると、周辺の海流に変化が起こりますよね。そのことで生態系が変わり、漁業とか、自然環境に影響を与えます。そういうことを研究していました。

野間口 大学時代は研究一筋ですか?ほかに何か活動していましたか?

黄川田 小中高野球漬けだったので、いろいろな世界を見てやろうと思いました。陸も、どうせなら海も見てやろうと欲張って、旅行やスキューバダイビングに打ち込みました。 それから、バックパックを背負って、アメリカ横断、メキシコ縦断など長旅にも出かけましたし、あちらこちらに遠征してスキューバダイビングを楽しみました。

1 2 3 4 5 6
イメージ画像

サイト内検索

Loading