インタビュー

草加市在住の狂言師 吉田信海(よしだ しんかい)さん

草加から、狂言、日本の伝統芸能を盛り上げたい。

吉田信海

吉田 信海さんプロフィール

1976年1月24日生まれ 青森県八戸市出身。平成9(1997)年より大藏千太郎のもとで稽古を始める。平成12(2000)年より、内弟子として大藏流二十五世宗家大藏彌太郎、及び千太郎に師事。平成15(2003)年「末広がり」、平成17(2005)年伊勢神宮で「千歳」を披(ひら)く。同年社団法人能楽協会に入会。大藏狂言SHIN~千太郎組~メンバー代表 大藏千太郎ホームページ sentarou.jp (敬称略)

 

役者修業のつもりが本職になる

野間口 狂言師になったきっかけを教えてください。

吉田 高校を卒業して就職のために青森県八戸市から上京しましたが、役者になりたくて会社は1年ほどで辞めました。それからは、芸能事務所に所属して、映画で小さな役をやりながら役者修業をしていました。

高校時代は競技自転車部に入っていて、ロードレースなど一生懸命活動していたのですが、その他に役者のプロフィールに書けるような特技が何かないか探していました。友だちが狂言大藏流の大藏千太郎の友人で、やってみないかと誘われ、狂言なら役者にも通じるし、特技としてプロフィールに書けるということで始めたのがきっかけです。

最初は軽い気持ちでお稽古場に遊びに行くような感覚でした。やっていくうちに段々面白くなってきたのですが、それでも最初の2,3年は役者のかたわら、週に1回「習い事」として月謝を払いながら狂言を勉強していました。千太郎先生とは年も近く、その頃は、師匠というよりは親しい先輩という感覚でした。

習い事として狂言を続けるうちに、もう少し本格的にやってみたいという気持ちが出て来て、千太郎先生のお稽古に加えて、お父様である、大藏彌太郎師(二十五世宗家)のもとでも稽古をすることになりました。これが、「内弟子」という形での修行の始まりです。月謝を払ってのお稽古ごとから、芸を身に付けるための修行に変わりました。

内弟子になって、しばらくすると役が付いて公演にも出るようになり、何度か役者の仕事と重なって、そちらを断ることがありました。その頃になると狂言が楽しくて仕方なく、役者ではなく狂言師としてやっていこうと決めました。

野間口 狂言の稽古というのは、どういう形で進むのですか?

吉田 基本的には師匠のセリフをおうむ返しで繰り返すだけです。見て聞いて同じようにできるまで、やり続けるしかありません、このような口伝(くでん)と呼ばれる教え方で650年続いてきています。

野間口 同じ芸能がそれだけ長く続くのは大変なことだと思いますが、歌舞伎は血縁で芸を伝えていきます。狂言の伝承システムも同じように親子で引き継ぐのですか?

吉田 基本的には親から子へ一子相伝で伝えていきます。大藏家も室町時代の初代から数えて現在25代目です。代々、血縁でつないで、基本的には親から子への伝承でここまで来ています。

外から入った弟子も三代続けば、家として認められます。もし、私の子ども、孫が狂言師を次げば大藏流吉田信海家が生まれるということになります。

野間口 吉田信海というのは、本名なんですよね 。

吉田 はい、名字も名前も本名でやってます。

 

▽伊勢神宮での奉納狂言

 伊勢神宮奉納

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