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柿木町 女体神社の祭礼「おひまち」

柿木町では、4月に東漸院で行われる「花祭り」、7月に行われる八坂神社の「テンノウサマ」とならんで、10月の「おひまち」は大きなお祭りです。sokerでは秋、自然の恵みに感謝するこの伝統行事を取材しました。

(取材・文/野間口 司郎)

女体神社

おひまちは女体神社で行われる柿木町伝統の行事です。

柿木町にある女体神社は天正3(1575)年、下総国石毛(しもうさのくにいしげ)から戦いに破れて柿木に落ち延びてきた豊田一族が、先祖代々信仰してきた筑波山神社に習って建立した神社です(柿木町の歴史http://soker.jp/1714/)。そのため、参道は筑波山神社のある北向きとなっており、通常南向き、あるいは東向きに建てられる神社の中にあって、非常に珍しいつくりとなっています。

△女体神社

筑波山神社は、筑波山(標高877m)そのものを境内とし、筑波山を形成する男体山(871m)山頂に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、女体山(877m)山頂に伊弉冉尊(いざなみのみこと)をまつってあります。いざなぎ(男性神)といざなみ(女性神)は古事記、日本書紀に登場する神で二人で「国生み」を行い日本の国土を形成したとされる、日本の神話の中で重要な役割を果たす神です。

筑波山の中腹に拝殿があり、明治以前の神社は神仏混合が多く筑波山神社も境内にお寺の本堂があり、三重の塔など仏教施設がありました。しかし、明治時代に起こった廃仏毀釈(天皇制につがる神道を国家宗教とするために、寺院の持つ特権を廃止する明治初期に起こった運動。結果多くの仏教施設が破壊された)で、それらの施設は取り壊されました。

柿木町の女体神社も明治以前は東漸院の管理下に置かれていた時代もありましたが、廃仏毀釈で仏教部分は分離されました。

筑波山は万葉集にもその名が登場する山で、信仰の起源も古く関東地方に人が住み始めた時から信仰されていたといわれています。北関東一帯で広く信仰されていたので、石毛の豊田氏もその信者だったのでしょう。柿木町になぜ、男体山神社、女体山神社一対のうち女体山神社を選んで建立したのか分かりませんが(ご存じの方がいたら教えてください)、石毛寄りの女体山のほうに親近感を感じていたのでしょうか。

△万葉集にもその名を残す筑波山
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