インタビュー

田島製作所経営 田島 一氏

興味を持ったことには、とことんのめり込むタイプ

埋もれた草加の文化・観光資源に光りをあてたい

(聞き手 野間口司郎)

 

町工場のステンレスに

囲まれて育った少年時代

 

野間口 お生まれはどちらですか?

田島 父親が、合羽橋近くの板金工場で働いていたので、私が生まれた時、一家は仕事場にほど近い台東区入谷に住んでいました。

後に父親は独立して自分のステンレス加工工場を練馬区田柄(たがら)という土地で開業しました。私が3歳ぐらいの頃です。

父親は練馬の工場兼住宅で母親と一緒に朝から晩まで仕事をしていました。そういう環境ですから、子どもの頃は、近くで父親の仕事を見ていました。当時は気がつかなかったのですが、後から思えばいつもステンレスに囲まれて暮らしてました。毎日、汗まみれになって働きづめの両親を見て、こういう大変な仕事はやりたくないなという思いがどこかであったように思います。

騒音が出ることや手狭になったことなどで、私が高校1年生の時に、工場は草加市松江にある今の場所に移転しました。しばらくは、練馬に住まいがあって、父は草加まで通っていました。私は、大学を卒業するまでは練馬で過ごしました。

野間口 大学の理工学部に進学されますね。

田島 上智大学の理工学部機械工学科に入学しました。両親の仕事を近くで見ていて、大変そうだなと思う半面、機械に関する仕事に携わっていれば、とりあえず食えるんだという思いもどこかにあって、機械工学科を選びました。結局は稼業の影響もあって選んだ進路でした。

大学3年生まではあまり勉強しなかったのですが、4年生になって流体工学の研究室に入って、研究が面白くなりました。生まれて初めて勉強を面白いと思いました。

野間口 どういったことを研究されていたのですか?

田島 「油圧ポンプの動特性」がテーマでした。油圧ポンプに大きな力をかけた時に、部品がどう動くか、それを計算式を使って「シュミレーション」していました。正確には「シミュレーション」というのですが、当時は「シュミレーション」といっていて、論文にもこの表記が使われていました。それぐらい、まだなじみの薄かった技術ということです。

日本のものづくりは、それまでとりあえず現物をつくって、それで強度や構造を実験するというやり方が主流でしたが、完成するまで試作品が山のように必要だったんです。

「シュミレーション」の技術を使えば、実際にモノをつくらなくても計算でどれぐらいの強度が必要か、どういう構造が適しているかということが分かるのです。当時としては時代の先端をいく研究でそういうところも面白かったのだと思います。

野間口 ひたすら計算していくんですね。

田島 そうです。数学の世界ですね、運動方程式というのを立てて、時系列的にある力を加えた時、0.001秒後どういう変化が起こるか、0.002秒後部品はどうなっているかなどを計算で割り出します。方程式を細かくつくっていくことがノウハウとなり技術になっていきます。実際の計算はコンピュータに数式を入れてやります。研究するほどに、新しいノウハウが蓄積されていくという感じでしたね。

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