インタビュー

草加宿神明庵運営協議会会長 青柳 優さん

僕は「よそ者行動論者」
草加を選んで住んだ人間だからこそ、
いいまちにするために行動しなくてはいけない。

青柳 優さん

 

草加に来た時、知り合いはたった一人だけ

野間口 草加のまちづくりに関して、長年ご尽力なさっています。草加との出会いについて教えてください。

青柳 生まれは東京都葛飾区亀有。もともと、親が北千住で建具屋を営んでいて、大学を卒業していずれは家を継ぐつもりでしたがすぐに継ぐこともないだろうと、少し「社会勉強」をしていました。

その頃、家業が草加に支店を出して、うちの店で働いていた職人が責任者として赴任したのですが、その人が早々に越谷に自分の店を出して独立して、草加の店があいちゃったんです。そこに僕が入る形でそれまで縁のなかった草加に来ました。昭和42(1967)年の春のことだったと思います。

その当時、草加で知っている人と言えば、大学時代の同級生がたった一人だけ。僕が越してきた翌年の夏、そのことを聞きつけた彼が「お前草加に来たのかい」と西瓜をひとつ提げてわが家を訪ねてくれました。誰も知り合いがいなかったので、その時はうれしかったなあ。そういう訳で文字通りゼロから店をスタートさせ、草加での生活が始まりました。

野間口 何の基盤もないところで商売を始めるのは大変だったでしょうね。

青柳 門前の小僧で幼い頃から建具屋の仕事は間近で見ているので、一通りのことは分かっていました。しかし、職人仕事ができるかと言えばそれはできないので、実家から職人を一人連れてきて二人で始めました。親の家業を継いだので二代目なんだけど半分は初代という感じでした。

野間口 草加にいらした時は、ご結婚はされていたのですか?

青柳 女房は学生時代の同学年で、山口県の出身です。結婚は昭和42(1967)年の暮でした。

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