インタビュー

前・草加市長 木下 博信氏(前編)

勉強ダメ、スポーツダメの小学生時代
自分を変えようと、しゃにむに行動し続けた

前草加市長の木下博信さんは、28歳で草加市市議会議員に初当選。その後、市長を3期途中まで9年間務めるなど、若くして功なり名を上げた人物です。しかし、意外にも「小学生の時は運動も勉強もダメで性格も暗かった」(木下氏)

どうやって、そんな自分を変え政治家になり、草加を変え、そして、苦杯をなめたのか。学生時代のこと、アルバイトのこと、パリダカのこと、市長時代のこと、そして不信任決議のことなど、3時間のロングインタビューで木下氏の昔と今、そしてこれからを聞きました。

前草加市長 木下博信氏 (前編)

(聞き手 野間口司郎)

 △氷川町木下氏のオフィスにて
 

「このままでは、人生終わりだ!」
その思いで、中学校で自分を変えた

野間口 お生まれは草加ですか?

木下 東京都足立区千住緑町、北千住から歩いて30分ほどの場所です。姉が一人いて、私が生まれて手狭になったので、家を買おうということになった。千住では高い。西新井もまだちょっと高い、谷塚を少し超えたあたりでやっとここなら買えるということで決めたのが吉町だったようです。

私が生後4ヵ月の頃です。昭和40年代に草加に家を建てた方の多くの方がこういうパターンだったと思います。

野間口 草加育ちということですね。

木下 氷川幼稚園、高砂小学校、瀬崎中です。

野間口 子どもの頃はどういうお子さんでしたか?

木下 影が薄かったですね。勉強できない、スポーツできない、性格暗い、肥満。最高にいじられやすいキャラですよ。小学校5,6年生の時はよくいじめられました。

喘息の持病もあったので、小学校の臨海学校にも参加できなかった。学校なんて全然楽しくなくて、ただ給食食いにいく感じ。6年生の時は年間40日くらい欠席しました。後々行政に関わるようになって教育関係者に話を聞いたら、年間40日欠席は不登校の基準らしいです。

だから、瀬崎中に進学した時、変わるんだったらここしかないと思いました。生徒の半分は私の小学生時代を知らないわけだし、このままでは本当にオレの人生終わりだって思っていました。

だって、小学校の時まで、ボール投げは20mも飛ばない、50m走は10秒切れない、腕立て伏せ、腹筋は1回もできなかったんですから。このままじゃ終わるでしょう。それで意を決して中学では水泳部に入った。

野間口 泳ぎだけはできたんですか?

木下 いえ、金槌でした。

野間口 チャレンジャーですね!

木下 本当にこのままじゃ先はないと思ったから。親父の教育も良かったんだと思います。超放任主義ですから。自分の人生なんだから、自分で決めろと。これは終始一貫してました。

今でも覚えてますが、小学校2年生の時、算数で0点取ったんです。さすがにこれは怒られると思って、おそるおそる親父に答案用紙だしたら、「ふうん」とまるで関心がない。勉強しようが、しまいがお前の人生なんだからお前が決めろと。そういうメッセージです。

だから、自分で決めて行動するしかないんですよ。自立せざるを得ないわけです。

野間口 金槌だったのが水泳部に入って泳げるようになったんですか?

木下 夏休みが終わって9月に校内の水泳大会がありました。そこでなんと学年2位になったんです。「このオレがスポーツで2位。おおおっ!やればできるんじゃん!」って人生変わりました。

野間口 県内でも屈指の名門春日部高校に進学されるわけですが、勉強も頑張ったということですね。

木下 姉貴の勉強の仕方をまねました。要は試験10日前から3時間睡眠、4時間睡眠で集中して勉強するんです。そのやり方で、結果はクラスで3番とかね、勉強のほうも、今までできなかったから、「やればできるじゃん」って自信がつきました。

野間口 スポーツも勉強も、キーワードは集中力ということになるんですか?

木下 集中力というよりは、覚悟というか、やるかやらないかだけですよね。自分としてはこのままじゃ人生終わると追い詰められている。だから、覚悟を決めてしゃにむにやったら結果が出たということでしょうね。それを続けただけです。

野間口 中学生の時、将来の夢とか就きたい職業はありましたか?

木下 理科の先生になりたいと思ってました。小学校の時から外に遊びに行かずに家でラジオ組み立ててるような少年でしたから。当時は鉱石ラジオとかゲルマニウムラジオを組み立てるのが流行ってましたよね。小学校の時は、電気屋さんになりたいと思ってたんですね。

中学生になってもラジオはつくってたし、秋葉原には通いましたよ。よく行ったのは大きな電気屋さんじゃなくて、ガード下で抵抗1本バラ売りしてるようなマニアックな店でした。だから、機械とか電気が好きで、中学校の時は理科の先生になりたいと思っていたのと同時に、将来、電子頭脳をコンピュータでつくってみたいとも思ってました。

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