特集

神明庵の人々

「神明庵」は旧道の北側、神明宮の並びに150年以上前から建つ久野(ひさの)家の建物を改築し、草加を訪れる人、草加に住む人たちのためのお休みどころとして、2011年7月にオープンしました。

現在、18人の「草加宿神明庵運営協議会」のメンバーとお客様のおもてなしを担当する40人のボランティアスタッフにより運営されています。 協議会メンバー、スタッフいずれも無償ボランティア、まちづくり、おもてなしに熱い思いを持つ市民が集まっています。 今回のSOKER特集では、神明庵に携わる人たちに、草加への思いやまちづくりにかける意気込みなどを伺いました。(取材・文 野間口司郎)

▲神明庵の母胎となった久野家は大津屋という料理屋を営んでおり、二階部分は宿泊施設を兼ねていたようです。現存する建物は店舗部分で後ろに住まいがあり、こちらは何度か建て替えられ今も久野家のご家族が住んでおられます。店舗部分は久野家の強い思いから現在に至るまで残され続けてきました。
家に伝わっているところでは、安政二(1855)年の江戸大地震にも耐え、明治3(1870)年の草加の大火でも焼失を免れました。
外観は平入切妻造り瓦葺きで、川越城下に見られるような土で厚く塗り込められた「土蔵造り」ではありませんが、店舗部分と背後の住居部分が丁の字で組み合わされた「町屋建築」を今に伝えています。
出入り口には雨戸兼用の「揚戸(あげど)」を用い、全開すれば奥まで日差しが入ります。室内天井部分には「差桁(さしけた)」と呼ばれる梁が縦横に組み合わされ、力強い構造が感じられます。
草加宿神明庵 埼玉県草加市神明1-6-14  開館時間:11時~16時(月曜休館、但し月曜祝日の場合は翌日休館)、TEL.048-948-6882

 

神明庵の人々①

おもてなしの心を伝えるボランティアスタッフ

「まちを好きになるためには、

まちを知らなければいけないと思いました」。

 

神明庵のお休みどころで、お客様と会話をしてお茶を振る舞うなどおもてなしを担当するボランティアスタッフ3人に話を伺いました。お三方の草加との出会いは以下の通りです。   堀内さん 堀内仁之(ほりうち ひとゆき)さん 三重県四日市市出身。大学卒業後静岡県の教師を経て都立高校建築の教師として勤務。奥様の勤務地だった草加には1972(昭和47)年から住み続けています。

本田さん 本田悦子(ほんだ えつこ)さん 東京都葛飾区出身。お子さんが学校を卒業して一人立ちしたのを機にご主人と郊外への移住を計画。都内で仕事を持っていたので、「都内へ出やすいこと」、「急行電車が止まる駅」などいくつかの条件で絞った結果、今から16年前に草加市氷川町へ居を定めました。

財満さん財満恵美子(ざいま えみこ)さん 東京都品川区出身。1967(昭和42)年学生時代の友人が草加にいた縁で松原に土地を購入。1970(昭和45)年から住み始めました。

 

 自然豊で水がきれいなまち

野間口 草加の住み心地や好きなところはどんなところでしょう?

堀内 改めて聞かれると特別に何かがあるということではないのですが、自分が建てた家もあるし、子どもたちにとってはここが本籍地、故郷なので、いいまちにしたいという思いはありますね。

本田 正直言うと都内から郊外へ引っ越すと決めた時、埼玉に住むつもりはなかったんですが、いろいろな条件で選択して草加が残りました。草加のどういうところがいいのか、それを見つけるためにも、いくつかの団体でボランティア活動をしています。

財満 草加に土地を買ったばかりの頃は、周囲は田んぼばっかりでした。松原と旭町の境あたりにきれいな水が流れる用水路がありましたが、子どもたちは、そこでザリガニ釣りなどして遊んでました。 当時、草加で水を飲んで、品川区鈴ヶ森にある実家に帰って水を飲むと美味しくなかった。それだけ、草加の水が美味しかったんですね。自然が豊富で水がきれいというのが最初の頃の草加の印象です。 その後人が増え、水が汚くなっていくのは早かったというふうに記憶しています。

堀内 宅地化が進んで生活雑排水が河川に入って来ました。草加だけでなく川口など上流の生活排水も草加へ流れ込んで来て川が汚くなっていきました。当たり前のことですが、綾瀬川でも伝右川でも源流はみんなきれい。人間の生活が川を汚くしてるんです。

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